2014年2月24日月曜日

15期を終えて

永田町の憲政記念館にある、尾崎行雄記念財団。
ここの「咢堂塾」という学び場で、足掛け3期に渡り学ばせて頂いた。


一番最初の回は2010年の事だった。
どんな集まりなのか予備知識もないまま、たまたま募集の案内を知った。
締切まであと一週間しかない、ぎりぎりのタイミングで申し込んだ。
必死で志望動機を書き上げて投函し、何とか受講許可を頂いたのがちょうど4年前になる。

きっかけは確か、初代塾長の相馬雪香先生を偲んで、何かしらのご縁を頂きたいと願ったのが発端だったと思う。
もっとも初めてその名を識った時は、既に泉下の人となっていたのだが。


歴史上の人物ならば諦めはつくものの、数年のタイムラグでお目に掛かれなかったのは本当に残念だった。

なぜ、相馬雪香さんという存在に反応したのか。

人として生まれ、生きるからには「何かを良くして」人生を終えたい。
充実した現在を生きる人からの学びは、もちろん日々のご縁の中で色々と経験させていただいている。
けれども相馬先生に対しての思いは、ちょっと違った。
様々なエピソードを知るにつけ、ご縁の無かった己を悔やんだ。



一番最初となる12期目は、自分でも何が学べたのかが整理できない、あっという間の10か月だった。
咢堂塾では大学の講義も顔負け、休憩なしの120分1本勝負。
各分野の専門家を講師に迎え、講義の終盤は質疑応答に入る。
自分なりの問題意識と、質問をぶつけられるだけの理解がないとぶつかる事ができない。
たしか最初の年は1回質問が出来たかどうか、その程度だったと思う。

後半は、講師のレクチャーをベースにディスカッションをするのだが、生来の内気と持論をぶつだけの土台が無かった事もあり、どちらかというと「お客さん」で終わったような10か月だった。


そんなでも、何とか卒塾という栄誉を頂くことは出来た。
嬉しい半面、釈然としない。
消化不良のような想いを抱えていた。


そうこうしているうちに、3.11の東日本大震災を迎えた。
塾での学びは一段落と思い再入塾は躊躇したのだけれども、
通っている間に諸先輩からの口伝がどうしても耳に残っていた。


「学んであなたは、何をするの。」


その答えを、まだ出せていない。
そう思い、1期挟んだ14期に入りなおす事にした。


咢堂塾はいうなれば「尾崎行雄塾」である。
けれどもその本質は、初代塾長の相馬先生の理念と実践であると
改めて認識した。

学び終えて、何をするのかの答え探し。
初回よりは講義にもついていけるようになり、後半のディスカッションにも立ち位置の異なる異論には果敢に向かっていくようになった。


そうこうしているうちに、相馬先生の問いに対する答えがなんとなく見えてきた。
それでも、明確に「これだ!」というには至らない。
あと一歩、もう少しで何かが見えて来そうな気がする。


ならばと思い、もう一度。
3度目の受講を決意して15期の末席に置かせて頂いたのがちょうど1年前だった。


これまでの2回とは違い、今回のテーマは「尾崎行雄」だった。
咢堂塾のルーツは相馬雪香先生であるのだけれども、その土台はあくまでも咢堂こと尾崎行雄だ。

なので、これまでの講義ではそもそも触れられる事のなかった尾崎に対する理解をどれだけ深められるか。
その1点に拘った。


学び始めて足掛け4年。
今回は様々な初体験を迎えた。

学びの舞台である「憲政記念館」の本館、そして「尾崎メモリアルホール」。
いずれも足を運んだのは今回が初めてである。

本館には帝国議会始まって以来の各種資料やら、変わったところでは安重根が伊藤博文たちに放った弾丸などが有った。

また「人生の本舞台は常に将来に在り」揮毫の原本が尾崎メモリアルホールに掲げられているのもこの半年前に初めて識った。

学んでいるようで、実は尾崎の事を何も知らなかったんだなと改めて「愕然とした」。
愕然という言葉は尾崎の雅号「咢堂」のルーツでもある。


更なる学びの機会は、期せずして訪れた。
財団のサイトが老朽化著しいとの事で、学びの一環でリニューアルを買って出る事にした。
これまでのサイトは欲しい情報がどこにあるのか、どうにもうまく探せない。
導線がすっきりしないのと、「私だったら、こうするんだけどな」
そんなふつふつとした想いが昂じて、ならばと手を挙げた。


制作にあたっては、何よりも尾崎財団の歴史を自分の中に叩き込まなければ作れない。
片っ端から尾崎の文献を読み漁った。
国会議員生活の最長不倒だけでなく、その原点は地方議員だった事やジャーナリスト出身の政治家のルーツである事、ワシントンに桜を寄贈したことや、果てには憲政記念館の由来でもある尾崎記念会館の設立経緯など、尾崎研究に没頭する日々が続いた。
これまでは意識する事のなかった、相模原の「咢堂弁論大会」にも足を運んだ。


尾崎だけではない、相馬先生の足跡を辿る事にも徹底的に拘った。
財団所蔵の未公開資料や秘蔵の写真なども、時には授業そっちのけで資料探しに没頭した。


行為としてのサイト制作は、さほど苦労する話ではない。
けれども、そこに至る動機や、何を掲載したいかという想いの発露に至るまでは何度も逡巡し、取捨選択を繰り返した。

そうして何とか形になったのかなと思えるに至ったのが、現在の「ozakiyukio.jp」である。

http://www.ozakiyukio.jp/

制作の経緯は以前のエントリでも触れたが、そもそもの動機付けはある意味での「卒業課題」のつもりだった。


サイト制作を生業にしているわけではないので、サイト自体の出来不出来に関しては寛大な評価を頂ければと思う。
少なくとも、過去に手掛けた誰のサイト、どのサイトよりも全力で取り組んだつもりだ。




昨年11月11日の完成を踏まえて、幾つか思った事がある。


ひとつは、相馬先生の問いかけでもある「学んであなたは、何をするの」。
その答えが、見つかった事だ。
これまでにも尾崎財団は様々な人が往来していった。
中には「今どき尾崎なんて、誰も見向きしねえよ」と心無い言葉を私自身掛けられた事もある。
これ以上にない罵声を浴びた事もあった。


その時に感じた悔しい思いが、奇しくも相馬先生の問いに対して答えを見つけるきっかけになった。
不思議な事に、その一言に感謝している。
お蔭で全てが「吹っ切れた」。


今の尾崎財団は、事務局長の石田さんが中心になって相馬先生亡き後の財団を支えてくれている。
そこに、加勢しようと思った。

いや、石田さんだけじゃない。
尾崎咢堂や相馬先生の意志を継がんとする先輩や仲間がいる。

そこにちょっとでも自分なりの提案をつぶけていって、何かが生まれるのが楽しい。
自分に出来ないことも、先輩や後輩に相談したらあっという間に筋道が見えて来たり、新たな活路が見えて来る。


自分にできる事は、ごくちっぽけなものだ。
それでもお役に立てるなら、これほど嬉しいことは無い。


もしも相馬先生がご健在だったならば。
問いかけに対して、はっきり答えられる。


「尾崎財団と咢堂塾を、石田さんや咢志会の皆と一緒に繋ぎます。」


ようやく答えのひとつが見つかった。
塾での学びは今回の15期でお仕舞いにしようと思っている。


それが、咢堂塾15期の10か月を学び終えての所感だ。

2014年2月21日金曜日

胸張って帰ってこい、ソチの戦士たち。

この2,3日は浅田真央選手の渾身の演技に一喜一憂し、
睡眠不足の日々を送っている。


幸いだったのは、SP(ショートプログラム)とフリーの
結果があの順番だったことだ。
最後に自身の納得がいく演技が出来て良かったと思う。

浅田選手の何が、観衆の胸を熱くさせるのか。
ベースとなる技術はもちろんのこと、不本意だったSPから
見事に持ち直した精神力もある。

天国から見守っているお母さんの存在もあろう。
それ以上に、「あ、これだ」気付いた事がある。
いずれ、何かの折に触れる事もあろう。


男子では、羽生結弦選手の金も良かったが
個人的には前回バンクーバー五輪の銅メダリスト・
同姓同名の高橋大輔選手の入賞も良かった。


奇しくも今回のソチでは高橋、浅田両選手ともに順位は6位。
メダルは無くとも、私は二人を誇らしく思う。
共に、世界で最も価値のある6位だ。

たまたま注目したのが男女フィギュアの代表選手だったけど
フィギュアのみならず、どの選手も懸命に闘ってくれていると思う。

日の丸を背負った戦士たちは、メダルの色や順位に関わらず
堂々と胸を張って帰って来てほしい。

2014年2月17日月曜日

知事選、ソチ、そして大雪

この1か月ほどに身の回りで起きた様々なイベントは
いずれも自分にとって近くもあり、同時に微妙な距離でもあった。


まず一つめ。
すでに決着がついて1週間が経過した都知事選は、投票権が無い身ながらも
いろいろと気を揉んだ出来事だった。
結果が吉と凶と出るかは判らない、それでも決まった以上は
少しでも良い方向に向かう事を願うしかない。


二つめ。
ソチ五輪に関しては、たまたま己の姓名が某有名選手と同じ事もあって
気を揉みながら滑走を見守っていた。
世代交代、完全燃焼。同じ名前を持つ身としてはお疲れ様でしたと心底思う。



三つめ、この週末に起きた大雪についても触れなければなるまい。
都知事選の投票前日に首都圏を襲った積雪も凄かったが、この週末は私が
上京して以来一番の激しさだったと思う。

もっと激しい積雪自体は故郷でも経験しているが、
備えが無い個所に対して、それこそ急所を突くが如きの自然災害だ。
亡くなられた方のご冥福を祈ると共に、自治体の役割の重さを感じる。
困った時の自衛隊、たしかに頼りになる存在ではあるが
駐屯地も基地もない私の田舎では「役場」が除雪の任を担ってくれている。



もう一つ、4番目の話題など。
この1か月ほどで改めて経験したのだけれども、私にとって
ソーシャル何とかの類はどうも肌に合わないらしい。
普段の仕事はメールと電話が有れば事足りるし、また
合わないものを無理に抱えていても心身ともによくないので
向かないツールに関しては取捨選択をする事にした。

手放す事による一抹の寂しさも、ないわけではない。
けれども、抱えたままで身が千切れるよりはずっといい。

2013年11月15日金曜日

尾崎サイト製作メモ(ozakiyukio.jp)補足

前回のエントリで書き漏らした事があるので、
技術的なことをほんの2点ほど。

ブラウザベースのCMSが主流を占める昨今、なぜ
FTPベースのソフトでサイトを制作しているのか。
ひとつだけ、明確な理由がある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/PHP:_Hypertext_Preprocessor

PHPは、確かに便利だと思う。
けれど、自動生成されるURLには私自身、どうも馴染めない。
逆に、私はこういうことがしたかった。

http://www.ozakiyukio.jp/thanks.html


URLにさえも、気持ちを込めたい。
htmlを自在に命名出来ることが、私には必要不可欠だった。



それともう一つ、サーバ選択には「Webフォント」を使えることを
前提条件にした。

http://ja.wikipedia.org/wiki/Web%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%88


もしも財団のサイトを訪れてくださった人が、文字の表示に注目していただけたら。
その見栄えは、この技術を導入しているお蔭だったりする。
どうしてもこの機能は外したくなかった。


それ以外は、特別な技巧は何も用いていない。
ひとつひとつのパーツに願いを込めながら作っている。
それだけなのだけれども、果たして訪問いただけた方の感想は
どんなだろう。

せめて僅かでも何かを感じて頂けたら、制作者としては
何よりそれが嬉しい。

2013年11月13日水曜日

尾崎サイト製作メモ(ozakiyukio.jp)

サイトを作るとき、作り手はどんな事を考えているのか。
施主の方にはあまり詳らかにする事はないのだけれども、
どんなサイトでも製作に没頭しているときは色々なことを
考え、そして悩んでいる。


去る11月11日に立ち上がったばかりの、尾崎財団の新サイトは
今年に入って手掛けたン番目のサイトになる。
http://www.ozakiyukio.jp/


過去に立ち上げたサイトの中でも、最も私の全力を注ぎこんだつもりだ。
今の私にできる、ありったけをぶつけた。

その過程で、こんな事を考えながらつくった、あるいは
ここを徹底的に意識した、そんな舞台裏を文字通り
「備忘録」として綴って置こうと思う。


話は今年の夏に遡る。
財団での私の兄貴分に当る石田尊昭さんの手伝いをする事になった。
その流れで講座のサイトを仮組みしたのが、振り返るとスタート地点に
なる。
いま思うとそれはそれでやっつけ仕事というか、デザインスタディ的な
位置付けで無料のWebスペースを借り、細々と立ち上げた。
それが、現在サブディレクトリ扱いになっている特別講座のサイト
だったりする。
http://www.ozakiyukio.jp/gakudo/


当時は広告付きで僅か50MBの容量しか貰えない、ちょっとした
お遊びのつもりだった。
それがいつしか細かなパーツを、それこそ「うなぎのたれ」を
注ぎ足すが如く暇を見ては直し、何となくすっきりしない箇所を
思い出しては修正の繰り返しで少しずつ形になってきた。

そうこうしているとだんだん欲が出て来るもので、どうせなら
財団のドメインで正式に運用できないものだろうかと思案するようになった。
そうした相談を石田さんに打診して程なく、財団のサイトそのものを
見直したいという話になった。


私自身、元々はこれまでの財団サイト(ozakiyukio.or.jp)を
インターネット上で見て憲政記念館を初めて訪れた経緯がある。
それゆえ有り難いサイトではあったものの、いざ自分が人様のサイトを
預かるようになってからは「ここ、何とかならないかな」と思う箇所も
ちょっとずつ意識するようになってきた。
そうしたお節介を石田さんにぶつけてみたところ、財団としても
同じ悩みを抱えているとのことだった。

それならいっそのこと、「やりましょうか」という流れになった。



リニューアルするに当っては、幾つかの課題があった。

1:ドメインの統廃合
2:導線の見直しと使い勝手
3:サイトで何をしたいのか
4:流行のCMSでなく、敢えてFTP主体でいく
5:何年でも使えるための将来設計


先ずは、ドメインの統廃合。
これまでの財団関連はメインの「ozakiyukio.or.jp」だけでなく
咢堂塾の「gakudo.com」、それと機関誌『世界と議会』の
「world-parliament.net」、つごう3つのドメインでそれぞれが
独立したサイトとなっていた。これを何とかしたいと思った。
ハード的には1台のサーバで各々のドメインを立てているのだろうと
察しがつきつつ、どうせなら一つのドメインで一元管理できればと
思っていた。


二つめの、導線の見直しと使い勝手。
これまでの尾崎財団、咢堂塾、そして世界と議会の3サイトは
それぞれが独立している関係もあり、お世辞にもシームレスとは
言い難い使い勝手だった。
加えて、探したい情報になかなか辿り着く事ができない、
自分の現在地がわかりにくい。
なので、階層の構造をあらかじめ固めてから一気に作り込んでいった。
最低限でも「パンくずリスト」や「サイトマップ」などのナビゲーション、
それとサイト内検索は欠かせない。
どのページにアクセスしても、迷った時はトップページに戻って
来れば済む構造にした。


三つめ、サイトで何がしたいのか。
意外と、これが定まっていないホームページが多い。
例えば企業ならその目的の究極は「儲かる」事に尽きるだろうし、
選挙のサイトなら当選に繋がる、言い換えれば「思わず票を投じたくなる」
ことに他ならない。
したがって、製作するにあたり自分は何をしたいのか、訪問者の方に
どんな印象を持ってほしいのか、どんな行動を促したいのかを徹底的に
掘り下げた。

辿り着いたポイントは4つだった。

1.尾崎行雄を「日本を代表する政治家」の一人と定義し、その精神を訪問者に問いかける
2.咢堂塾の設立者でもある尾崎三女・相馬雪香さんを現代に蘇らせる
3.財団に縁ある全ての人が誇っていただけるサイトであること
4.訪問者の「何かを変える」きっかけを提供できること

正味の製作期間は約2か月、その間は尾崎咢堂や相馬さんの書籍を
20冊ほど読み込んだ。
ある時は財団の書架(勝手に「咢堂文庫」と命名した)に入り浸り、
足りない本は身銭を切って買い求めた。
アマゾンのことも相当儲けさせたと思う。
可能な限りの情報を自分にインストールし、振るいにかけて残ったものを
徹底的に研ぎ澄ます。

耳触りの良い評伝だけでなく、坂口安吾の『咢堂小論』など、尾崎に対して
批判的な立ち位置の文献にも積極的に挑んでいった。

相馬さんの事は、自分にとっての原点を振り返りながら、思慕の念で
積み上げていった。
私自身、生前の相馬さんには縁なくお目にかかる事が出来なかった。
「すごい婆ちゃんがいる」はじめて意識した時には、すでに泉下の人となっていた。


私だけではない。
これからの人は、「相馬雪香さんをリアルで知らない」人ばかりになる。
せめて、相馬さんが大切にしていたものを色濃く出せないだろうかと苦心した。
ここ(=サイト)を訪れれば、相馬さんに逢える。
英霊に通ずる想いも少しばかり重ね合わせた。

そして何よりも大切にしたかったのは、財団や咢堂塾、世界と議会に縁ある
全ての人が誇れるサイトにする事だった。
サイトといっても、結局のところは文字と画像の組み合わせでしかない。
それらの組み合わせで、果たしてどうやったら目的を果たす事ができるのか。
心掛けたのは、一つひとつの構成要素を丁寧に作っていく、それだけだった。
そうした経緯もあって、思いのほか時間がかかってしまったが、新しい財団のサイトは
尾崎や相馬さんの所有物ではなく、もちろん製作者の私のものでもない。

私は、僕はここで学んだ。
かつて、この本に寄稿した。
ここで、こんな学びがあった。
訪問して下さる皆さん一人ひとり、憲政記念館を訪れて下さり
尾崎咢堂や相馬雪香さんに想いを馳せて下さる「あなたのサイト」だ。
そして、訪れていただいた結果として、何かを残せるか。
何かのきっかけをつくれるか。
出来ないとしたら、そんなサイトは何の意味もない。
訪問者の感覚に訴え、何かを促す事が出来ないとしたら、
そのサイトは存在しないのと一緒だ。


四つめ、どういったツールでサイトをこしらえるか。
最初は「Movable Type」や「WordPress」での立上げも考えたが、結局は
慣れ親しんだ「BiND」で行くことにした。
WebベースのCMSはネット環境さえあればどこからでも更新が出来る、
そのメリットは確かに多い。
けれどもその一方、手直しやマイナーチェンジを頻繁に行いたい場合には
そうした便利さがデメリットにもなる。
版数に応じた管理やバックアップ、将来的な管理体制を考えると
ローカル環境でサイトデータを製作更新し、FTPでアップロードする
オーソドックスなやり方で運用する事にした。
将来、私に何かあってもサイトは絶対に止めたくない。
更新管理のオペレーションも、将来的にはチームで回していけるように
するつもりだ。


そして最後の五つめ、何年でも使えるようにするために。
これはあらかじめ「動的コンテンツ」と「静的コンテンツ」を
明確に意識して、日頃手をいれる必要のないページと
頻繁に更新して行くページを明確に分ける事にした。
スタートの段階で決めたパートは、サイト内の全データの中でも
たったの3か所しかない。

1.お知らせ
2.講演
3.世界と議会

これだけだ。
それぞれのコーナーでの更新頻度をあらかじめ算出したら、
お知らせは月に数回程度。
現時点はリニューアル直後という事もあり活発だが、それでも
あっちこっちと追われないよう、「お知らせ」のページ自体は
年単位でまとめるように決めた。

http://www.ozakiyukio.jp/information/2013.html#1113

上の例で行くと、年度ごとのhtmlを一つ作成し、を月日(MMDD)で
区切って行く。年間トータルで見たらどれだけ膨大になるか、それとも
大した数にならないのかは現時点では解らない。
それでも、「普段はここだけ更新すればいい」とあらかじめ決めておくと
運営する身としても心理的な負担が少ない。

ちなみに「講演」は月に1回あるか無いかなので、就寝前のひと手間あれば
充分回していける。
「世界と議会」に到っては、四半期に1回でいい。
但し将来的には、1961年の創刊以来のインデックスを全て網羅する
つもりなので、それについては腰を据えて更新して行こうと思っている。
何しろ半世紀以上の歴史、まとめていくのはなかなか大変だ。

何年運営してくつもりなのか、それをあらかじめ見定めるのは意外と重要だ。
立上げは正直、ちょっとしたWebの製作スキルが有れば誰でもできる。
止めずに運営し続けて行く、なによりもそれが一番大変だ。
私の場合は「日本論語研究会」の更新が毎月あるので、それが結構な
トレーニングになっている。

続けていくこと、そして続いていること。
それが何より難しい。

その辺は、政治の世界で言われる「保守」の定義の本質と一緒だと思っている。
靖国参拝や国旗への敬意だけをとりあげるのではない。
「続いていくこと、続くこと」。それが全てだ。
なので私の中の保守は「コンサバ」でななく「メンテナンス」だったりする。
その意識が有れば、靖国も国旗もごく自然な所作になる。


尾崎財団のサイトを製作する過程では、そんな事を考えながら
誰も見ていないところで黙々と作業を進めていた。
特に名は明かさないが、途中途中で相談に乗って頂いたり、
作業がはかどらない愚痴に付き合って頂いたり、時には
文字通り手助けしていただいた人もいる。
一人ひとりに感謝を申し上げたい。


御陰様で、やっと難産の果てに産声を上げました。
改めて、ありがとうございます。
そしてこれからもご贔屓のほど、宜しくお願い申し上げます。

2013年10月22日火曜日

ネットの作法、リアルの作法


これはつい最近経験した、他山の石とするべき出来事に関する雑感。

ある日、フェイスブックに見知らぬ「いいね!」が大量に紛れ込んできた。
その発生源を辿ると、フェイスブックで相互承認している知人の画像に
タグ付けされていて、そこにコメントやいいねが入る度に流れ込んできた。
もともと私自身、なんだかなあと思う人はFB上の繋がりから除外させて
頂いているし、またどうしようもない人の場合はブロックしている。
なので普段の使用上はさほどストレスを感じないのだけれども、
今回は予期せぬ出来事だったので正直困惑した。
そう、つまりは私も「タグ付けの設定」を施していなかったのだ。

だからといって相手は悪意があるわけでもないだろうし、
そもそも悪事を働いたわけでもない。
その一方で私自身が抱え込むのもそれはそれで小さなストレスになる。

たまたま私の周囲にも面喰っている人は数人いて、話を聞くと
やはり困っているという。
特にある友人の悩みは深刻で、周囲に誤解を与えるタグが付いてしまうと
業務にも差し障りがあるという。

私の場合は単純にタグ付けをオフにすれば良いだけの話なのだけれども、
その友人(仮に、Aさんとしておくことにする)の場合は全くのオフ設定も
「感じが悪い」と逆の誤解を与えかねないので、それはそれで困るという事だった。

フェイスブックもツイッターも日本に上陸して間もない訳ではない。
それでも、毎日のようにXX投稿の影響で刑事沙汰になったとか、中には
△△投稿のせいで閉店に追い込まれたという事件も珍しくなくなってしまった。

なに馬鹿な事やってんだかと思う反面、「そういう己はどうなんだ」
自問自答すると、私自身も「無かったことにしたい」メールや発信の
多いこと多いこと。
人の事なんか、到底言えない。
無知ゆえの失態をけっこう振りまいて来た事に、なんとも申し開きの
しようのない、ばつの悪い想いに駆られる。


「ははあ、タカハシ。さてはアレの事か?」

そんな風に感じた、拙ブログを読んで下さるあなた。
そう、あなたの推理は正しい。
きっとあなたも私も、同じことを連想している。
その節はすまない事をした。申し訳ない。

そう気づかせてくれただけでも、知己を通じてのタグ攻撃は
他山の石というか、何かの有難いお告げなのかも知れない。

もっともこうして懺悔めいた事を書き残したとしても
これまでの失態を取り繕う事はきっと出来ないだろうし、
失態ゆえに壊れ、修復しようのない関係もある。
その辺はデジタルもアナログも関係ない。
相手を思いやるゆとりや節度があったか。その一点に尽きる。

2013年9月16日月曜日

最後の壁

数年前までは敷居の高かった動画配信も、スマホの普及で万人が気軽に
出来るようになった。
いよいよ、最後の壁を誰もが乗り越えられる。そんな時期が迫っている。

恐らく3年後の参院選(あるいは、衆参同時選挙になるんだろうか)、
いや、それを待たずに2015年に予定されている統一地方選の頃には
ブログやツイッターだけでなく、政治家が自らサイトを立ち上げる事も
普通になっているかも知れない。

実際、ブログやツイッターを開設するのと、サイトを運営更新するのは
さほど変わりない。
各ツールの更新に掛る動作を振り返ると、とてもよくわかる。

1:ログインする
2:文字を入力する
3:画像や動画をアップロードする
4:更新する

大半はこれだけで事足りる。
サイトの場合はこれらの他に、Webサーバへのアクセスが発生する。
中にはMovable TypeやWordPressのようなブラウザベースの
CMS(Contents Management System。要は、サイトを運営する仕組み)も
あるが、サーバーへのインストールやサイト自体のデザイン、
FTPの設定などがほんの少し面倒なのを除けば、基本的には1から4の
動作の繰り返しだったりする。

それについ最近は、無料でも手軽に洗練されたサイトを
立ち上げる事ができるようになってきた。
「Jimdo」や「WIX」、「Webnode」などを使えば、
誰もが一定のクオリティを保ったサイトを開設できる。

<Jimdo>
http://jp.jimdo.com/

<WIX>
http://ja.wix.com/

<Webnode>
http://www.webnode.jp/


テンプレートのアレンジから始めるので、オリジナリティを追求するには
それなりの経験を要するし、ページ間の繋がり(リンク)を考えなければならないなど
ブログやツイッターに比べたら手間が掛るのは否めない。
それに、フェイスブックのような「いいね!」が返ってくるわけでもない。

ただ、サイトをひとつ立ち上げた時の達成感は、ブログ記事を10件書くよりも
100回のツイートをするよりも遥かに大きい。

そしてなにより「伝えたい事がはっきり」してさえいれば、
それだけでも魅力的なサイトに仕上がる。

最近オープンした知己のサイトが、それを証明してくれている。
本人曰く「不器用ながら」とはいうものの、私は充分立派なサイトだと思う。

<気仙沼バレエソサエティ>
http://kesennumaballet.jimdo.com/


じっくりサイトを眺めると、本当に「いいな」と思う。
応援したくなる。
うん、お世辞抜きに、いい。

なぜそう感じるのかと自問自答して、はたと気が付いた。

1:作り手の、サイトの主役への想い入れが有るか無いか。
  ここでは現在のソサエティ代表・高橋知子さん、そして小さなバレリーナたち。
  そういう目には見えないものが、行間から溢れている。
  
2:何を伝えたいのかが、明確になっているかどうか。
  これは全てのサイトに言える事なのだけれども、それがあるだけでも
  違ってくる。

ITスキルの巧拙や、グラフィックデザインの素養といった美麗さは、
それはあまり関係ない、以上の2つさえ押さえたら、
それだけでも良いサイトになるのだろう。
そして、作り手の想いとサイトの主体の想いがシンクロすればするほど、
ホームページやサイトといったものは、どんどん良くなり充実していく。
伝えたい、知って欲しいという想いがあれば、技術は後からついてくる。

アクセス解析や検索エンジン対策、コンテンツのブラッシュアップなど
「もう一段、あるいはもう二段」上げるための方法論というものは
誰もが出来るわけではない。それに手間もかかる。
こうして書いている私自身でさえ、満足に至る事はそうそうない。

それでも、せっせとこしらえたものが世界中の人の耳目に触れる、
自身の発信を誰かに見つけて貰える喜びや、自らの発信が誰かの
プラスに作用するといった、伝わる嬉しさとでも言うんだろうか。

多くの人が、意識していないだけなのだと感じる。
メールが届く。つぶやきやエントリが届く。サイトを見てくれる人がいる。
一見すると当たり前のように感じられる、その事の凄さ。
そこに気付いていない政治家が多い。

ここ暫くはネット選挙の話題を引っ張る形で同種の話題が続いてしまった。
それでも、政治家をSOHOに置き換えたら「まだやってないの?」というレベルの
話でもある。
そういう意味では、公職選挙法の縛りやネット選挙の解禁に関わらず、
政治家のネット活用自体が遥かに遅れているんだなと改めて感じる。
市井の人たちはどんどんやっている。政治家の世界が(たぶん)一番遅れている。


いずれにしても、ホームページの開設や運営が特別な事ではなくなる、
そういう時代がすぐそこまで来ている。
そうしたインターネット発信における「最後の壁」が崩れた時、
政治の分野におけるインターネットはまた一歩前進するんじゃないだろうか。
そう思っている。