ここ数日のNHKを点けると、朝のニュースでは連日のごとく
3.11を振り返る取材レポートや、現地のインタビューが
飛び込んでくる。
見るにつけ思うのは、「政治の限界」ということだ。
例えば福島を振り返ると、当時の菅直人総理。
あれはどう見ても政治トップの迷走が招いた人災だと私は思うし
当時の民主党政権でも松本龍・復興担当相が大いに復興に水を差した事は
今なお記憶に新しい。
宮城県の村井知事とは僅かばかりの知遇を頂いている身としては
昨日の事のように思い出される。
もっとも、3.11その時を迎えた時の政権が現在の自公連立だったら、
幾分はマシな部分があったのかも知れないけれども、かれこれ政権に
返り咲いてから2度目の3.11だ。
現場の知己や、漏れ聞こえて来る声に耳を澄ましても
「自民公明に戻ってよかった」という声はさほど聞こえて来ない。
少なくとも3.11の復興支援に関しては、超党派で一気に
進めてくれまいかと歯噛みしている自分がいる。
政党って、一体なんだろうと思う。
再び、NHKを振り返る。
ここ数日の現地ルポで印象的だったのは3つあった。
一つは、「どちらかというと」という意見も含めると
復興が進んでいると感じられない意見が8割を占めたという
アンケート。
もう一つは、被災3県に追悼施設を建立するという政府発表。
そして三つめは、今朝のテレビで出掛けに目にした
「震災遺構・保存か廃棄か」という見出し。
後世や次世代に災害の教訓を残し、忘れずに伝えていく事は
大事な事だと私も思う。
その一方で、忘れなければ生きていけない現場の人の思いも解る。
そんな折の、政府主導による追悼施設の建設構想。
決して悪いことではない。
けれども、いくら土建をやっても人を耕さない限りは進まねえよ。
そんな想いもあって、なんだか違うよなという違和感が拭えない。
前回のエントリでも記した尾崎財団の新たな試みは、私たちが思う
復興支援を掲げたつもりだ。
持ち続けるのも捨てるのも、共に「決断」を必要とする。
少なくとも、進むためには人は決断し続けて行かなければならない。
16期の咢堂塾は、政治であれ民間の立場であれ、学びの成果を
次のように考えている。
1.目の前の課題に対して「気づく」ための感覚を養う。
センサーが研ぎ澄まされれば、日頃意識しない潜在的な課題も
見えてくる。
2.見えた課題に対し、自身の立ち位置を「決める」。
そこには勿論、取捨選択や賛成反対、各々の立場があってもいい。
ただ、少なくとも「自分はこうだ」という具合に決める。
3.決めたら「動く」、そして「動きつづける」。
瞬間的な決め事に対して反応するのは、そう難しい事ではない。
ただ、決めた事に対してアクションを起こし、それを続ける事は
そう容易いことではない。
開講前にあたって志望される皆さんの想いを吸い上げ、その実現に
一歩でも近づけるようにガイドする事にも注力しようと考えている。
そして10か月に渡る学びの後に、どこまで到達できたのか、あるいは
近づく事が出来たのか。
その辺もあらかじめ意識して進めるつもりでいる。
今回のエントリの題名に掲げた「政治の限界」だが、
これは決して各政党に対する批判ではない。
政治が何かするにも限りがあるし、何より政治は魔法の杖ではない。
それを感じたならば、気付いたならば、政治や既存の制度のせいにせず
「だったら、自分はどうする」
目覚め、そして行動する人を一人でも二人でも多く生み出して行けばいい。
かくいう私自身も、勿論そうありたい。
誰かや、何かのせいにしない。
まずは、自分が出来ることをやる。
私の場合はたまたま縁あって尾崎財団という活動の場を
与えて頂いているので、尾崎財団と咢堂塾を通じて
「政治の限界」の際(きわ)を見定め、それを破りたいと思っている。
実際、今の私たち(塾の仲間)には「政治に失望する」暇がない。
そんな暇があったらやりたいこと、やらねばならないこと、
そして実際にやっている事が盛りだくさんだ。
限界の薄皮一枚、その先には「可能性」があると思う。
破れる事が出来ればその時点で同じ限界ではなくなるし、
その繰り返しで政治と向かい合うシチズンシップが
根付けばと願っている。
被災地の復興には、結局のところそれが一番なんじゃないだろうか。
週末に、被災県の各紙と全国を網羅する報道各位へのリリースを行なった。
震災から3年を迎えて、咢堂塾が目指すもの。
そういった想いを込めた。
実を結ぶかはわからない。それでも、やる。
これも、咢堂塾で尾崎咢堂と相馬先生の遺訓から学んだ事のひとつだ。
http://www.ozakiyukio.jp/information/2014.html
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