前回のエントリで書き漏らした事があるので、
技術的なことをほんの2点ほど。
ブラウザベースのCMSが主流を占める昨今、なぜ
FTPベースのソフトでサイトを制作しているのか。
ひとつだけ、明確な理由がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/PHP:_Hypertext_Preprocessor
PHPは、確かに便利だと思う。
けれど、自動生成されるURLには私自身、どうも馴染めない。
逆に、私はこういうことがしたかった。
http://www.ozakiyukio.jp/thanks.html
URLにさえも、気持ちを込めたい。
htmlを自在に命名出来ることが、私には必要不可欠だった。
それともう一つ、サーバ選択には「Webフォント」を使えることを
前提条件にした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Web%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%88
もしも財団のサイトを訪れてくださった人が、文字の表示に注目していただけたら。
その見栄えは、この技術を導入しているお蔭だったりする。
どうしてもこの機能は外したくなかった。
それ以外は、特別な技巧は何も用いていない。
ひとつひとつのパーツに願いを込めながら作っている。
それだけなのだけれども、果たして訪問いただけた方の感想は
どんなだろう。
せめて僅かでも何かを感じて頂けたら、制作者としては
何よりそれが嬉しい。
2013年11月15日金曜日
2013年11月13日水曜日
尾崎サイト製作メモ(ozakiyukio.jp)
サイトを作るとき、作り手はどんな事を考えているのか。
施主の方にはあまり詳らかにする事はないのだけれども、
どんなサイトでも製作に没頭しているときは色々なことを
考え、そして悩んでいる。
去る11月11日に立ち上がったばかりの、尾崎財団の新サイトは
今年に入って手掛けたン番目のサイトになる。
http://www.ozakiyukio.jp/
過去に立ち上げたサイトの中でも、最も私の全力を注ぎこんだつもりだ。
今の私にできる、ありったけをぶつけた。
その過程で、こんな事を考えながらつくった、あるいは
ここを徹底的に意識した、そんな舞台裏を文字通り
「備忘録」として綴って置こうと思う。
話は今年の夏に遡る。
財団での私の兄貴分に当る石田尊昭さんの手伝いをする事になった。
その流れで講座のサイトを仮組みしたのが、振り返るとスタート地点に
なる。
いま思うとそれはそれでやっつけ仕事というか、デザインスタディ的な
位置付けで無料のWebスペースを借り、細々と立ち上げた。
それが、現在サブディレクトリ扱いになっている特別講座のサイト
だったりする。
http://www.ozakiyukio.jp/gakudo/
当時は広告付きで僅か50MBの容量しか貰えない、ちょっとした
お遊びのつもりだった。
それがいつしか細かなパーツを、それこそ「うなぎのたれ」を
注ぎ足すが如く暇を見ては直し、何となくすっきりしない箇所を
思い出しては修正の繰り返しで少しずつ形になってきた。
そうこうしているとだんだん欲が出て来るもので、どうせなら
財団のドメインで正式に運用できないものだろうかと思案するようになった。
そうした相談を石田さんに打診して程なく、財団のサイトそのものを
見直したいという話になった。
私自身、元々はこれまでの財団サイト(ozakiyukio.or.jp)を
インターネット上で見て憲政記念館を初めて訪れた経緯がある。
それゆえ有り難いサイトではあったものの、いざ自分が人様のサイトを
預かるようになってからは「ここ、何とかならないかな」と思う箇所も
ちょっとずつ意識するようになってきた。
そうしたお節介を石田さんにぶつけてみたところ、財団としても
同じ悩みを抱えているとのことだった。
それならいっそのこと、「やりましょうか」という流れになった。
リニューアルするに当っては、幾つかの課題があった。
1:ドメインの統廃合
2:導線の見直しと使い勝手
3:サイトで何をしたいのか
4:流行のCMSでなく、敢えてFTP主体でいく
5:何年でも使えるための将来設計
先ずは、ドメインの統廃合。
これまでの財団関連はメインの「ozakiyukio.or.jp」だけでなく
咢堂塾の「gakudo.com」、それと機関誌『世界と議会』の
「world-parliament.net」、つごう3つのドメインでそれぞれが
独立したサイトとなっていた。これを何とかしたいと思った。
ハード的には1台のサーバで各々のドメインを立てているのだろうと
察しがつきつつ、どうせなら一つのドメインで一元管理できればと
思っていた。
二つめの、導線の見直しと使い勝手。
これまでの尾崎財団、咢堂塾、そして世界と議会の3サイトは
それぞれが独立している関係もあり、お世辞にもシームレスとは
言い難い使い勝手だった。
加えて、探したい情報になかなか辿り着く事ができない、
自分の現在地がわかりにくい。
なので、階層の構造をあらかじめ固めてから一気に作り込んでいった。
最低限でも「パンくずリスト」や「サイトマップ」などのナビゲーション、
それとサイト内検索は欠かせない。
どのページにアクセスしても、迷った時はトップページに戻って
来れば済む構造にした。
三つめ、サイトで何がしたいのか。
意外と、これが定まっていないホームページが多い。
例えば企業ならその目的の究極は「儲かる」事に尽きるだろうし、
選挙のサイトなら当選に繋がる、言い換えれば「思わず票を投じたくなる」
ことに他ならない。
したがって、製作するにあたり自分は何をしたいのか、訪問者の方に
どんな印象を持ってほしいのか、どんな行動を促したいのかを徹底的に
掘り下げた。
辿り着いたポイントは4つだった。
1.尾崎行雄を「日本を代表する政治家」の一人と定義し、その精神を訪問者に問いかける
2.咢堂塾の設立者でもある尾崎三女・相馬雪香さんを現代に蘇らせる
3.財団に縁ある全ての人が誇っていただけるサイトであること
4.訪問者の「何かを変える」きっかけを提供できること
正味の製作期間は約2か月、その間は尾崎咢堂や相馬さんの書籍を
20冊ほど読み込んだ。
ある時は財団の書架(勝手に「咢堂文庫」と命名した)に入り浸り、
足りない本は身銭を切って買い求めた。
アマゾンのことも相当儲けさせたと思う。
可能な限りの情報を自分にインストールし、振るいにかけて残ったものを
徹底的に研ぎ澄ます。
耳触りの良い評伝だけでなく、坂口安吾の『咢堂小論』など、尾崎に対して
批判的な立ち位置の文献にも積極的に挑んでいった。
相馬さんの事は、自分にとっての原点を振り返りながら、思慕の念で
積み上げていった。
私自身、生前の相馬さんには縁なくお目にかかる事が出来なかった。
「すごい婆ちゃんがいる」はじめて意識した時には、すでに泉下の人となっていた。
私だけではない。
これからの人は、「相馬雪香さんをリアルで知らない」人ばかりになる。
せめて、相馬さんが大切にしていたものを色濃く出せないだろうかと苦心した。
ここ(=サイト)を訪れれば、相馬さんに逢える。
英霊に通ずる想いも少しばかり重ね合わせた。
そして何よりも大切にしたかったのは、財団や咢堂塾、世界と議会に縁ある
全ての人が誇れるサイトにする事だった。
サイトといっても、結局のところは文字と画像の組み合わせでしかない。
それらの組み合わせで、果たしてどうやったら目的を果たす事ができるのか。
心掛けたのは、一つひとつの構成要素を丁寧に作っていく、それだけだった。
そうした経緯もあって、思いのほか時間がかかってしまったが、新しい財団のサイトは
尾崎や相馬さんの所有物ではなく、もちろん製作者の私のものでもない。
私は、僕はここで学んだ。
かつて、この本に寄稿した。
ここで、こんな学びがあった。
訪問して下さる皆さん一人ひとり、憲政記念館を訪れて下さり
尾崎咢堂や相馬雪香さんに想いを馳せて下さる「あなたのサイト」だ。
そして、訪れていただいた結果として、何かを残せるか。
何かのきっかけをつくれるか。
出来ないとしたら、そんなサイトは何の意味もない。
訪問者の感覚に訴え、何かを促す事が出来ないとしたら、
そのサイトは存在しないのと一緒だ。
四つめ、どういったツールでサイトをこしらえるか。
最初は「Movable Type」や「WordPress」での立上げも考えたが、結局は
慣れ親しんだ「BiND」で行くことにした。
WebベースのCMSはネット環境さえあればどこからでも更新が出来る、
そのメリットは確かに多い。
けれどもその一方、手直しやマイナーチェンジを頻繁に行いたい場合には
そうした便利さがデメリットにもなる。
版数に応じた管理やバックアップ、将来的な管理体制を考えると
ローカル環境でサイトデータを製作更新し、FTPでアップロードする
オーソドックスなやり方で運用する事にした。
将来、私に何かあってもサイトは絶対に止めたくない。
更新管理のオペレーションも、将来的にはチームで回していけるように
するつもりだ。
そして最後の五つめ、何年でも使えるようにするために。
これはあらかじめ「動的コンテンツ」と「静的コンテンツ」を
明確に意識して、日頃手をいれる必要のないページと
頻繁に更新して行くページを明確に分ける事にした。
スタートの段階で決めたパートは、サイト内の全データの中でも
たったの3か所しかない。
1.お知らせ
2.講演
3.世界と議会
これだけだ。
それぞれのコーナーでの更新頻度をあらかじめ算出したら、
お知らせは月に数回程度。
現時点はリニューアル直後という事もあり活発だが、それでも
あっちこっちと追われないよう、「お知らせ」のページ自体は
年単位でまとめるように決めた。
http://www.ozakiyukio.jp/information/2013.html#1113
上の例で行くと、年度ごとのhtmlを一つ作成し、を月日(MMDD)で
区切って行く。年間トータルで見たらどれだけ膨大になるか、それとも
大した数にならないのかは現時点では解らない。
それでも、「普段はここだけ更新すればいい」とあらかじめ決めておくと
運営する身としても心理的な負担が少ない。
ちなみに「講演」は月に1回あるか無いかなので、就寝前のひと手間あれば
充分回していける。
「世界と議会」に到っては、四半期に1回でいい。
但し将来的には、1961年の創刊以来のインデックスを全て網羅する
つもりなので、それについては腰を据えて更新して行こうと思っている。
何しろ半世紀以上の歴史、まとめていくのはなかなか大変だ。
何年運営してくつもりなのか、それをあらかじめ見定めるのは意外と重要だ。
立上げは正直、ちょっとしたWebの製作スキルが有れば誰でもできる。
止めずに運営し続けて行く、なによりもそれが一番大変だ。
私の場合は「日本論語研究会」の更新が毎月あるので、それが結構な
トレーニングになっている。
続けていくこと、そして続いていること。
それが何より難しい。
その辺は、政治の世界で言われる「保守」の定義の本質と一緒だと思っている。
靖国参拝や国旗への敬意だけをとりあげるのではない。
「続いていくこと、続くこと」。それが全てだ。
なので私の中の保守は「コンサバ」でななく「メンテナンス」だったりする。
その意識が有れば、靖国も国旗もごく自然な所作になる。
尾崎財団のサイトを製作する過程では、そんな事を考えながら
誰も見ていないところで黙々と作業を進めていた。
特に名は明かさないが、途中途中で相談に乗って頂いたり、
作業がはかどらない愚痴に付き合って頂いたり、時には
文字通り手助けしていただいた人もいる。
一人ひとりに感謝を申し上げたい。
御陰様で、やっと難産の果てに産声を上げました。
改めて、ありがとうございます。
そしてこれからもご贔屓のほど、宜しくお願い申し上げます。
施主の方にはあまり詳らかにする事はないのだけれども、
どんなサイトでも製作に没頭しているときは色々なことを
考え、そして悩んでいる。
去る11月11日に立ち上がったばかりの、尾崎財団の新サイトは
今年に入って手掛けたン番目のサイトになる。
http://www.ozakiyukio.jp/
過去に立ち上げたサイトの中でも、最も私の全力を注ぎこんだつもりだ。
今の私にできる、ありったけをぶつけた。
その過程で、こんな事を考えながらつくった、あるいは
ここを徹底的に意識した、そんな舞台裏を文字通り
「備忘録」として綴って置こうと思う。
話は今年の夏に遡る。
財団での私の兄貴分に当る石田尊昭さんの手伝いをする事になった。
その流れで講座のサイトを仮組みしたのが、振り返るとスタート地点に
なる。
いま思うとそれはそれでやっつけ仕事というか、デザインスタディ的な
位置付けで無料のWebスペースを借り、細々と立ち上げた。
それが、現在サブディレクトリ扱いになっている特別講座のサイト
だったりする。
http://www.ozakiyukio.jp/gakudo/
当時は広告付きで僅か50MBの容量しか貰えない、ちょっとした
お遊びのつもりだった。
それがいつしか細かなパーツを、それこそ「うなぎのたれ」を
注ぎ足すが如く暇を見ては直し、何となくすっきりしない箇所を
思い出しては修正の繰り返しで少しずつ形になってきた。
そうこうしているとだんだん欲が出て来るもので、どうせなら
財団のドメインで正式に運用できないものだろうかと思案するようになった。
そうした相談を石田さんに打診して程なく、財団のサイトそのものを
見直したいという話になった。
私自身、元々はこれまでの財団サイト(ozakiyukio.or.jp)を
インターネット上で見て憲政記念館を初めて訪れた経緯がある。
それゆえ有り難いサイトではあったものの、いざ自分が人様のサイトを
預かるようになってからは「ここ、何とかならないかな」と思う箇所も
ちょっとずつ意識するようになってきた。
そうしたお節介を石田さんにぶつけてみたところ、財団としても
同じ悩みを抱えているとのことだった。
それならいっそのこと、「やりましょうか」という流れになった。
リニューアルするに当っては、幾つかの課題があった。
1:ドメインの統廃合
2:導線の見直しと使い勝手
3:サイトで何をしたいのか
4:流行のCMSでなく、敢えてFTP主体でいく
5:何年でも使えるための将来設計
先ずは、ドメインの統廃合。
これまでの財団関連はメインの「ozakiyukio.or.jp」だけでなく
咢堂塾の「gakudo.com」、それと機関誌『世界と議会』の
「world-parliament.net」、つごう3つのドメインでそれぞれが
独立したサイトとなっていた。これを何とかしたいと思った。
ハード的には1台のサーバで各々のドメインを立てているのだろうと
察しがつきつつ、どうせなら一つのドメインで一元管理できればと
思っていた。
二つめの、導線の見直しと使い勝手。
これまでの尾崎財団、咢堂塾、そして世界と議会の3サイトは
それぞれが独立している関係もあり、お世辞にもシームレスとは
言い難い使い勝手だった。
加えて、探したい情報になかなか辿り着く事ができない、
自分の現在地がわかりにくい。
なので、階層の構造をあらかじめ固めてから一気に作り込んでいった。
最低限でも「パンくずリスト」や「サイトマップ」などのナビゲーション、
それとサイト内検索は欠かせない。
どのページにアクセスしても、迷った時はトップページに戻って
来れば済む構造にした。
三つめ、サイトで何がしたいのか。
意外と、これが定まっていないホームページが多い。
例えば企業ならその目的の究極は「儲かる」事に尽きるだろうし、
選挙のサイトなら当選に繋がる、言い換えれば「思わず票を投じたくなる」
ことに他ならない。
したがって、製作するにあたり自分は何をしたいのか、訪問者の方に
どんな印象を持ってほしいのか、どんな行動を促したいのかを徹底的に
掘り下げた。
辿り着いたポイントは4つだった。
1.尾崎行雄を「日本を代表する政治家」の一人と定義し、その精神を訪問者に問いかける
2.咢堂塾の設立者でもある尾崎三女・相馬雪香さんを現代に蘇らせる
3.財団に縁ある全ての人が誇っていただけるサイトであること
4.訪問者の「何かを変える」きっかけを提供できること
正味の製作期間は約2か月、その間は尾崎咢堂や相馬さんの書籍を
20冊ほど読み込んだ。
ある時は財団の書架(勝手に「咢堂文庫」と命名した)に入り浸り、
足りない本は身銭を切って買い求めた。
アマゾンのことも相当儲けさせたと思う。
可能な限りの情報を自分にインストールし、振るいにかけて残ったものを
徹底的に研ぎ澄ます。
耳触りの良い評伝だけでなく、坂口安吾の『咢堂小論』など、尾崎に対して
批判的な立ち位置の文献にも積極的に挑んでいった。
相馬さんの事は、自分にとっての原点を振り返りながら、思慕の念で
積み上げていった。
私自身、生前の相馬さんには縁なくお目にかかる事が出来なかった。
「すごい婆ちゃんがいる」はじめて意識した時には、すでに泉下の人となっていた。
私だけではない。
これからの人は、「相馬雪香さんをリアルで知らない」人ばかりになる。
せめて、相馬さんが大切にしていたものを色濃く出せないだろうかと苦心した。
ここ(=サイト)を訪れれば、相馬さんに逢える。
英霊に通ずる想いも少しばかり重ね合わせた。
そして何よりも大切にしたかったのは、財団や咢堂塾、世界と議会に縁ある
全ての人が誇れるサイトにする事だった。
サイトといっても、結局のところは文字と画像の組み合わせでしかない。
それらの組み合わせで、果たしてどうやったら目的を果たす事ができるのか。
心掛けたのは、一つひとつの構成要素を丁寧に作っていく、それだけだった。
そうした経緯もあって、思いのほか時間がかかってしまったが、新しい財団のサイトは
尾崎や相馬さんの所有物ではなく、もちろん製作者の私のものでもない。
私は、僕はここで学んだ。
かつて、この本に寄稿した。
ここで、こんな学びがあった。
訪問して下さる皆さん一人ひとり、憲政記念館を訪れて下さり
尾崎咢堂や相馬雪香さんに想いを馳せて下さる「あなたのサイト」だ。
そして、訪れていただいた結果として、何かを残せるか。
何かのきっかけをつくれるか。
出来ないとしたら、そんなサイトは何の意味もない。
訪問者の感覚に訴え、何かを促す事が出来ないとしたら、
そのサイトは存在しないのと一緒だ。
四つめ、どういったツールでサイトをこしらえるか。
最初は「Movable Type」や「WordPress」での立上げも考えたが、結局は
慣れ親しんだ「BiND」で行くことにした。
WebベースのCMSはネット環境さえあればどこからでも更新が出来る、
そのメリットは確かに多い。
けれどもその一方、手直しやマイナーチェンジを頻繁に行いたい場合には
そうした便利さがデメリットにもなる。
版数に応じた管理やバックアップ、将来的な管理体制を考えると
ローカル環境でサイトデータを製作更新し、FTPでアップロードする
オーソドックスなやり方で運用する事にした。
将来、私に何かあってもサイトは絶対に止めたくない。
更新管理のオペレーションも、将来的にはチームで回していけるように
するつもりだ。
そして最後の五つめ、何年でも使えるようにするために。
これはあらかじめ「動的コンテンツ」と「静的コンテンツ」を
明確に意識して、日頃手をいれる必要のないページと
頻繁に更新して行くページを明確に分ける事にした。
スタートの段階で決めたパートは、サイト内の全データの中でも
たったの3か所しかない。
1.お知らせ
2.講演
3.世界と議会
これだけだ。
それぞれのコーナーでの更新頻度をあらかじめ算出したら、
お知らせは月に数回程度。
現時点はリニューアル直後という事もあり活発だが、それでも
あっちこっちと追われないよう、「お知らせ」のページ自体は
年単位でまとめるように決めた。
http://www.ozakiyukio.jp/information/2013.html#1113
上の例で行くと、年度ごとのhtmlを一つ作成し、を月日(MMDD)で
区切って行く。年間トータルで見たらどれだけ膨大になるか、それとも
大した数にならないのかは現時点では解らない。
それでも、「普段はここだけ更新すればいい」とあらかじめ決めておくと
運営する身としても心理的な負担が少ない。
ちなみに「講演」は月に1回あるか無いかなので、就寝前のひと手間あれば
充分回していける。
「世界と議会」に到っては、四半期に1回でいい。
但し将来的には、1961年の創刊以来のインデックスを全て網羅する
つもりなので、それについては腰を据えて更新して行こうと思っている。
何しろ半世紀以上の歴史、まとめていくのはなかなか大変だ。
何年運営してくつもりなのか、それをあらかじめ見定めるのは意外と重要だ。
立上げは正直、ちょっとしたWebの製作スキルが有れば誰でもできる。
止めずに運営し続けて行く、なによりもそれが一番大変だ。
私の場合は「日本論語研究会」の更新が毎月あるので、それが結構な
トレーニングになっている。
続けていくこと、そして続いていること。
それが何より難しい。
その辺は、政治の世界で言われる「保守」の定義の本質と一緒だと思っている。
靖国参拝や国旗への敬意だけをとりあげるのではない。
「続いていくこと、続くこと」。それが全てだ。
なので私の中の保守は「コンサバ」でななく「メンテナンス」だったりする。
その意識が有れば、靖国も国旗もごく自然な所作になる。
尾崎財団のサイトを製作する過程では、そんな事を考えながら
誰も見ていないところで黙々と作業を進めていた。
特に名は明かさないが、途中途中で相談に乗って頂いたり、
作業がはかどらない愚痴に付き合って頂いたり、時には
文字通り手助けしていただいた人もいる。
一人ひとりに感謝を申し上げたい。
御陰様で、やっと難産の果てに産声を上げました。
改めて、ありがとうございます。
そしてこれからもご贔屓のほど、宜しくお願い申し上げます。
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